2019 高校合格体験文
天王寺高校 文理学科
M.T. 地元中学卒業
十時になり、色とりどりの傘の群れの上に板が出てきました。自分の番号を見つけた瞬間、周囲の喧騒は耳に聞こえなくなった。あれだけ家族に『受かっても泣かない』と豪語していたくせに、涙があふれてきた。あまりの言行不一致ぶりに自分でも恥ずかしく、隣の母の顔を見られなかった。私は中学校一年から、田中塾に通い始めた。始めはどう勉強するかもわからず、出された宿題すらほとんど手をつけなかった。(特に数学、笑)
得意教科はどしどしするのに、苦手教科からは逃げに逃げまくった。背中を向けたら恥どころの話では無く、後ろ姿しか見せてなかった。と、いうようなことを中三の春くらいまで実にぐだぐだとしていたように思う。
いよいよ、三年生に入るのだが、皆さんあきれ返っておられるだろう。今までの話でわかると思うが、私は勤勉の徒ではない、怠惰の徒だ。いや、私とて分かっている。天下に勇名轟かすあの天王寺の文理学科に入学した生徒なら、きっとまじめで品行方正で一年の頃から真摯に勉学に励んできたのだと特に保護者の方々は信じているのだろう。そういう理想が巷には流布して今や定説となっているが、私は断固として否と高らかに言い放とう。そういう子は確かにいる。
だが、実際のところこんな阿呆がうようよしているのだ。というか、ほぼほぼ阿呆で構成されているかもしれぬ。
中三の初めの進路調査希望、私は別の学校の名前を書いていた。この学校もまた、有名人をたくさん輩出している大阪で一番の某高校、K高校である。天文台、美しい学び舎、圧倒的な蔵書量を誇る図書室、レベルの高い友人たち。私はここに行くと決めていたし、いけると思っていたのだ。わたしは夏前の模試で、B判定を取っていたし模試によってはA判定を取っていた。そして、魔のトラップに見事に引っかかった。あ、もう勉強せんでもええわと思ったのだ。夏休み、すべて棒に振った。振って振って振って見事にホームランした。
夏休み明けの模試でCを取った。泣いて泣いて絶望して、机に向かって勉強してもすぐに泣いてしまった。号泣しながら勉強していたことを思っている。母には、昔の男は忘れろと言われたが、そんな簡単に諦められるか。大体、学校だ、男ではない。と、2月までは思っていた。絶対にKに行くと言っていたが、人の心は移ろいやすいものだ。というか、落ちるとか無理、プライドに傷つけてたまるか、という感じだった。元来、臆病な気質なので安全策を取ってくれたと思って構わない。でも、やっぱり受かりたいもんでしょう。
私は国語と英語と社会がもともと、得意だったので、その辺の教科はほぼ放置していた。問題は理科、数学だ。この2つに関しては人様に言えないような偏差値を取っていた時期もある。大阪の文理科受験戦争を簡単にいうと、トップ校では理科社会では勝負は決まらない。
C問題である国数英で決まるのだ。ということで、数学を少しでもましにすることが喫緊の課題となった。数学は立体がかなり恐ろしいことになっていた。と、いうことで素養を養うために塾長に度々立体を作ってもらった。素養ができたかはともかくとして、大いに助けになった。理科は普通に自分できたえたらできるようになった。うむ、やはりたいていのことは気合だろう。
自分でも天王寺高校の末席に名を連ねていることが、信じられないし看板を汚しそうで
びくびくしている。3年の春からまじめにやるだけで絶対に行きたいところにいけるだろう。
私がういういしい受験生たちにアドヴァイスしたいことがある。夏休みもまじめに勉強するべきである。たとえ、模試が良くても夏をさぼれば暗澹たる未来と顔を合わしてしまう。
そして、一二年からまじめにするべきだ。最低でも、宿題はやる、授業はしっかり聞く。
これをしたらどこでもいける、太鼓判をぽんと押してもいい。そして、最後にストレスはためてなんぼだ。いや逆にたまらない人はいない。大阪人なら、ストレスもお金と思い胸に抱きかかえて頬ずりしてしまえ。